久々にブログを書こうと思います。ハーマイお兄です。
どうしても、JOKERについて感想というか、自分の想う事をダラダラと書きたかった。
ちなみに、バットマンシリーズは全て視聴済みでしたが、映画館へ行くまでは恥ずかしながらJOKERが「バットマン」の世界の「JOKER」とは知らず。。(DCマークでも気付かず。。)
作中に「ゴッサムシティ」やら「ブルース・ウェイン」が登場して気付きました。
ですが勿論バットマンを知らなくても楽しめる映画です。
そこがまた凄い。
(バットマンシリーズを知らない友人は「グロ悲しい映画」と言ってました←)
そしてバットマンダークナイトを見たくて仕方なく思わせる作品です。
TS●TAYAに行きましたが、ダークナイトが全て借りられていました。泣
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さて、、、
バットマンシリーズにおいて、JOKERというキャラクターは完全なる「悪」でした。
スターウォーズではダースベイダーがいるように、バットマンにはジョーカーが「悪」の象徴として表されていたのです。
しかし本編で登場する後のJOKER、「アーサー」は人の心があります。
人殺しの現場を見られたら、誰しも犯罪者は生かしては帰さないでしょう。
しかし目撃者が優しくしてくれた友人であれば、そのまま外へ解放している。
そう、「許容の心」があるのです。これがバットマンシリーズでのJOKERと本編の違いです。
JOKERのあらすじ
あらすじは、端的に言えば至って単純。
孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みる。
もっと言えば、病弱な母親と二人暮らしの男性が、ある日仕事道具を盗まれた上襲われ、そこから衝動的に人を殺めてしまい、戸惑いながらも自己を見出していくお話。
ここからはネタバレします。
まだ見ていない方は、鑑賞後もしくは覚悟を決めてみてくださいw
はっきり言います。
私は製作費の掛かっていない作品はほとんど大したことないと思っていました←殴
JOKERは、見たらわかりますがほとんどCGを使っていません。
最後の交通事故くらい?
それでも、人を引き込ませるお話です。
そして字幕だと文字見るのに必死で集中できなくなってしまうのですが、
字幕なのにその世界観にあっという間に引き込まれてます。
そして見た後は安定のただ茫然。
ゴッサムシティは現代社会の鏡?
似ているのです。
ゴッサムシティという架空の街での出来事なのに、現代社会にどこか似ているのです。
私はそれをとても感じ、自分の過去の苦しみを重ねてしまっていました。
主人公アーサーへ降りかかった災難は大きく二つ。
一つは仕事道具のかんばんを不良たちに盗まれて、狭い路地へ追ったら待ち伏せされて襲われ、お金を奪われて。
それでもめげないアーサー。ママを気遣います。本当に偉い。
(この辺でもうウルウル状態←)
もう1つは、その後に「自分の身は自分で守れ」と銃をくれる仕事仲間ランドル。
アーサーはいけないと言いつつ受け取り、ポケットにしまっていました。
ところが仕事で病院にて子供たちにピエロに扮し踊っていたところ銃が落下。
クライアントからクレームがあったのか、アーサーはあっさり首にされます。。。
この不運の重なり。本当に現代に似ています…。
(私も駅前でお喋りしていたら不良にタバコを投げつけられたり、
仕事で首になるような赤字を出したり…色々ありました。。。)
この映画で起こった出来事って、現代社会で起こる日常の中に潜んでいると思うんです。
全く同じではありませんが、言葉では表せないような強い悲しみや苦しみを、
私たち弱者は味わっているんです。
極めつけはアーサーの悲しみ・苦しみの表現。
本当に悲しい。本当に苦しい。
だから、共感するとともに一緒になって悲しんでしまう。苦しんでしまう。
アーサーは、偉大なコメディアンだったマーレイ(ロバート・デニーロ)に一人のコメディアンとして認めてほしかったんです。
でもいじられ、ネタにされ、コケにされて自尊心を踏みにじられる。
彼は結局マーレイを銃殺してしまいます。
でも、これだけ悲しみのどん底を這いつくばってきた彼を、一体誰が責めることが出来るんでしょうか?
アーサーはもともと、コメディアンになりたかったんです。
人を笑わせたい、幸せにしたい。
それがコメディアンではないでしょうか。
でも人を笑わせること=人に笑われることではない。
アーサーは精神病ではあっても、そこはハッキリと分かっていましたね。
誰かを笑わせるのではなく、自分が笑っていればいい。
そこへシフトしていくことに時間はかかりませんでした。
社会がそのように導いただけです。
アーサーは主観的に、突発的に動くこととなっていきます。
マーレイ、同僚ランドル、襲ってきた証券マン、虐待を止めてくれなかった母親、
どれも彼らを殺めたことはどれも衝動的でした。
「全てにおいて計画的では無かったということ。」
どこか、受け身にも取れるけれど、とにかく主観で行動していく印象を受けました。
ゴッサムシティは有り得る
最初に書くべきでしたが、とりあえず見ていて何度も何度も思ったのは、
「これ、世界のどこかにあるんじゃね?」ってこと。
ゴッサムシティという架空の都市を舞台としていますが、中東の内戦、アメリカの銃撃事件、南米のギャング戦争。
治安なんて手のひら返したかのように変化しています。
ゴッサムシティも、昔は荒れてはいれど暴動が起きる前まではサラリーマンが普通に歩いている風景などが見受けられました。
JOKERがTVを使って革命を起こしたことで暴動は悪化しましたが、こんなのいつでも起こりうる話だなーとしみじみ思って鑑賞していました。
ただ日本が違うのは、日本人は前に習えの精神が染みついているところです。
大抵は正義感が強く、秩序を守る方が多いことが救いです。
そのため日本で暴動が起きることは少ないでしょう。
そう、日本人だけならね・・・。
「不気味」の重要性
バットマンシリーズでは特にそうでしたが、JOKERでも際どい音を多用しています。
ダークナイトにおいてのJOKERのシーンは、何かが擦れるような不協和音をイメージして作ったと聞きます。
今回のJOKERにおけるBGMも重圧感漂わせるチェロを使った強いやや不快な音を出しており、
不気味な雰囲気を演出しています。
正直、これでもかというくらい演出していたので、もう少し抑えてもいいのではとも思いましたが←
しかし、BGMだけでなく、みぞおちがごっそり凹んだ痩せた体つき、不思議な踊り方・走り方、そして突然出てしまう笑い声。
これら全てを使って、映画の不気味さを表していました。
余裕でIt~イット~より怖いです。笑
おまけ:印象に残っているシーン
階段を踊りながら降りていくシーン
とても印象的です。
降りる、というよりも、
ダークサイドに堕ちていく一人の青年を表しているようにも見えました。
そして、墜ちていくことを楽しんでいる。
なかなか感慨深いシーンです。
ラストの追いかけられるシーン
ラストのオチとして、捕まったアーサーが警備員と追いかけっこをするシーンが映ります。
なんとも喜劇のようなオチです。今までの悲劇が嘘のようです。
そして黄色い「The end」。
そんな古い終わり方がまた70年代という時代をわざと醸し出していました。
ところどころ泣いているシーン
アーサーがピエロに扮し悪に染まっていく中、何度かメイクが涙で取れているシーンがあるのです。
懺悔の気持ちなのでしょうか?
あの涙は一体何なのでしょうか?
私にもよく分かりません。分かる方居たら教えて頂きたいです。
ダークナイトドット改訂版 名作映画完全セリフ音声集 (スクリーンプレイ・シリーズ) [ クリストファー・ノーラン ]
ちなみに・・・
ホワキン・フェニックスさんの作品何があるんだろう~と見てみたら、
僕の大好きな「シックス・センス」の監督「M・ナイト・シャマラン」さんの作品
「サイン」と「ヴィレッジ」に出演されていました。
どちらも好きな作品だったので正直こんな身近なとこに出てたのか!!と驚いています。
シックス・センスはド有名ですが「サイン」、「ヴィレッジ」も中々に面白いのでまだ見ていない方は是非お勧めします笑
では